歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

天子宮と天神社に隠れた神々はどなたですか?

十年前の阿蘇山。まだ地震の爪痕は有りません。俵山峠からの写真です。
なつかしさと同時に胸が締め付けられるような気分になります。
あの時、わたしはどんな思いでこの風景を見たのだろうかと。

火口の御池です。火口は満々とたたえた雨水を沸騰させていました。硫黄で青く濁っています。
阿蘇山上には山上神社がありますが、常の神事は麓の阿蘇神社で行われています。


十年前の、地震で潰れる前の、阿蘇神社の楼門です。大きな屋根ですから、横揺れしたら耐えられないでしょうね。ぼやけた写真すら懐かしいものです。
ここは、延喜式の名神大社です。
天皇家にとって重要な神社であると云うことですね。



熊本の人は、この阿蘇の神を畏れ、神祭りも絶えることなく行ってきました。各村々は阿蘇の神を祀っているだろうなと思って、「肥後国誌」を開いてみました。

しかし、よく見ると、阿蘇神社は思いのほか少なかったのです。地域の大きな県社とか村社には勧請されているのでしょうが、人々の暮らしの中に入りこんでいるのは「天神社」でした。各村の集落ごとに「天神社・天神宮・天子神社」などが祀られているのです。
他に、天満宮も多いのですが、こちらは「宰府(太宰府)からだれだれが何時勧請した」とはっきり書かれていました。菅原道真を祀る天満宮なのです。では、八幡宮はというと、天満宮の半分以下になります。


索引をみると、ページが記載されていますので、そのまま数えてみました。然し、実際には、同一ページに幾つもの天神社が名前だけ掲載されていますので、実際の数はかなり多くなるようです。
さて、この天神社に祭られていた神々はどなたでしょうか。菅原道真(天満宮)でもなく八幡宮(応神天皇・神功皇后)でもなく、阿蘇の神々でもない、しかも、肥後藩の隅々にまで浸透し、祀られていた神様です。
今日では「天神社」の信仰は失われていると、肥後国誌に書かれていました。
とても残念な気がしました。
わたしも、母に天神社のことは聞いたことがありませんでした。
知っている人がおられたら、教えていただけませんか。
お願いします。