歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

2018年7月のブログ記事

  • 纏向遺跡のフイゴの羽口は九州から伝わった!

    最近の考古学研究の片寄りに驚いています。 ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、倭人と手を結びました。 ... 続きをみる

  • 聖徳太子の王子の山背大兄王の伝承

    聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。 その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。 地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。 写真は現在地という地点から岡の原に向かってシャッターを切りま... 続きをみる

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  • 藤ノ木古墳は法隆寺の近くにある!

    法隆寺の近くには「ミササギ山」と呼ばれる古墳があり、それが近年大注目を浴びました。藤ノ木古墳です。 副葬品が大変豪華だったからです。 それらは、家形石棺の中に置かれていたのです。 副葬品はこれだけではありませんが、これらが家形石棺の中に置かれていたことが重要だと思うのです。 この藤ノ木古墳は法隆寺... 続きをみる

  • 法隆寺が見て来た歴史は何だったのか

    法隆寺を歩くと、ふっと土塀に視線が行きます。 そして、池田克己の「法隆寺土塀」を思い出してしまいます。 今は、詩集が傍にないのではっきりとは言えませんが、そんな題詞だったと思います。 中学のころ、担任だった森崎浩一郎先生が読んでくれた詩でした。 子どもでしたから、法隆寺土塀に心を動かした詩人とそれ... 続きをみる

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  • 熊本県の西原村を紹介します

    肥後大津方面から西原村に入るには、白川を渡ります。 白川の奥に阿蘇の五岳が見えます。青い山波は外輪山です。 西原村からは、西に雲仙普賢岳が見えます。一番奥にかすんでいます。手前の金峰山との間に有明海が広がります。 北側には、菊池盆地の神山、八方ヶ岳が見え、ほぼ真北には鞍岳が控えています。 鞍岳は阿... 続きをみる

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  • アメタリシホコの国の仕組みに伊尼翼(いなき)がある

    福岡空港に行くとき、稲城という交差点を通ります。 この地名を見るたびに、隋書の「伊尼翼=いなき」を思い出します。 これってアレのことじゃない? といつも思うので書いてみます。隋書には、 『軍尼(くに)一百二十人有り。なお中国の牧宰(ぼくさい)のごとし。八十戸ごとに 一伊尼翼(いなき)を置く。今の里... 続きをみる

  • 民話に残された小さな話の大きなカギ・根子岳

    熊本には、猫は最後を迎えるころ、どこか家族から見えないところに行くが、それは根子岳に登りその時を迎えるからだという民話があります。 阿蘇の人に「猫が根子岳に上るって本当ですか? そんな話を聞いたことありますか?」と聞きました。 「そぎゃんことはなか(そんなことはない)」という人ばかりでしたが、子ど... 続きをみる

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  • 阿蘇の支配者は誰だったのでしょう

    阿蘇にも支配者が交代したことを臭わせる伝承がありますね。侵入者は阿蘇都姫と結婚しています。 草部吉見神社は、有名な下り宮です。 鳥居をくぐれば急な階段を下ります。 祭の時、御輿は鳥居をくぐらず横を廻ります。奇妙です。 草部吉見神社は、いろいろなブログで紹介されていますから是非そちらを読んでください... 続きをみる

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  • 阿蘇とはどんな意味なのでしょう

      阿蘇のいみは何でしょうか 白川静という学者を御存知ですか。 甲骨文字を研究して、漢字が本来どのように生まれたかを追求し、東洋とは何かまで迫った人です。何より漢字はその一字を見ただけで意味分かるというのです、見ただけでわかる文字だと。 では阿蘇の「阿」を見ましょうか。 阿   ア      やま... 続きをみる

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  • 「阿蘇」の意味は何ですか

    そもそも、阿蘇ってどんな意味があるのでしょうね。 古代では「あ」は、自分のことですね。「吾」と書いて「あ・あれ」と読み、「私」と言う意味で使います。古事記や日本書紀に古い言葉がでてきますが、例えば「あぎ」とか「朝臣(あそん・あそみ)」とかです。 あぎ (吾君あがきみ)のことで、わたしのご主人様 と... 続きをみる

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  • 聖徳太子の宮は何処にあったのでしょうか?

      聖徳太子は何処にいたのでしょうか? その宮殿は俀国の何処にあったのでしょう。 まず、その俀国は何処にあったのでしょう。隋書には、 百済・新羅の東南、水陸三千里に在り。 魏の時、中国に訳通す。三十国あり、皆、自ら王と称す。 三千里で俀国ですか。では九州も俀国ですね。魏の時=卑弥呼の時代 は、言葉... 続きをみる

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  • 聖徳太子は阿蘇山を見たことがあるのでしょうか?

    阿蘇山あり。其の石故無くして火起こり、天に接することあり、俗、以って異となし、依って禱祭(とうさい)を行う。 隋書に書かれています。隋からの使者は、阿蘇山を見たのですね。 では、隋の使者は有明海を通ったのでしょうか。船の上から阿蘇の煙を見たのでしょうか。そこで、阿蘇山のことを聞いたのでしょうか。 ... 続きをみる

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