聖徳太子は阿蘇山を見たことがあるのでしょうか?
阿蘇山あり。其の石故無くして火起こり、天に接することあり、俗、以って異となし、依って禱祭(とうさい)を行う。
隋書に書かれています。隋からの使者は、阿蘇山を見たのですね。
では、隋の使者は有明海を通ったのでしょうか。船の上から阿蘇の煙を見たのでしょうか。そこで、阿蘇山のことを聞いたのでしょうか。
それとも、倭国の人に案内されて、阿蘇山を見たのでしょうか。
すると、隋から派遣された裴世清(はいせいせい)を阿蘇に案内したのは、倭国の人ですよね、其の人物は。しかし、ちょっと変です。
読み手は、「倭国の人には違いない」と思い込んでいますが、「隋書」には『倭』ではなく『俀』が使われています。俀国(たいこく)と書かれているのです。
俀は「ねじける」という意味でしょうか。
此の『俀』について、現代の中国では『倭の間違いであろう』として、「隋書」の俀を倭に書き変えています。
しかし、やっぱり変です。
中国では、次の王朝が前王朝の歴史を書くのですが、いい加減なことを書いては歴史家の首が飛びます。漢字の一字も間違えてはなりません。それなのに
隋書には『俀国』と書かれているのです。しかも、煬帝(ようだい)の本記の方には、間違えずに「倭国」とあります。本記では間違えていないのです。つまり、俀国は間違えたのではなく、歴史家が分かって使った「国名」なのです。
でも、なんで「ねじけ国」なのでしょう。
では、日出処天子は、「ねじけ国」の人なのでしょうか。それは、聖徳太子のことでしょうか。
今度、阿蘇を見に行きます。その時、お会いできますように。
では、また。
熊本をテーマに歴史について語り合いたいと思ってブログを開きました。
宜しくお願いします。
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