聖徳太子の王子の山背大兄王の伝承
聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。
その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。
地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。
写真は現在地という地点から岡の原に向かってシャッターを切りました。
法輪寺です。若い時に此処を訪れた時は、三重塔はまだ建てられていませんでした。塔の為の柱材を確保しているが建てるだけの費用が足りないとのことでした。
その後、塔建立の動きが広がっているとの報道もありましたね。
法輪寺はもともと国宝でしたが、落雷のため全焼したので国宝指定が解除になり、再建の道が険しくなったのです。然し、斑鳩には古代建築の資料が現存していますし、在りし日の写真も多く残されています。
再建は可能でした。竹島卓一氏の設計、宮大工の棟梁は西岡常一氏の指揮もとに再建されたのでした。西岡常一氏の工房は、法輪寺のすぐ近くに有ります。
多くの文化人がかかわって、三重塔が完成した時にはマスコミも取り上げていました。
幸田文さんは奈良に移り住んで、再建を支援したそうです。
結局、政治の力ではなく聖徳太子所縁の寺を援けたいという人々によって再建されたのです。その信仰の厚みと深さを改めて感じました。
その聖徳太子信仰と、歴史の真実は、どのようにリンクするのでしょうか。
山背大兄王がここに住まれたのであれば、天孫の宗家として何故一家が滅ぼされたのか、やはり大きな謎を感じます。
確かに美しい塔です。
この塔が長く人の耳目を集め、文化の象徴となっていくことを願います。
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