歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

纏向遺跡のフイゴの羽口は九州から伝わった!

最近の考古学研究の片寄りに驚いています。
ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、倭人と手を結びました。
でも、四世紀の列島はいつの間にか、近畿が支配していた?
そんな! ありえません。
そもそも倭人伝によると、三世紀の倭人の国は中国と通じる国は三十か国ほど(九州の国々)だったのが、次の四世紀の始めには近畿が九州を支配していたなんて、不思議です。三世紀半ばまで半島系土器も楽浪系土器も出土しないのですから、近畿には半島との外交はなかったのです。
それが、急に鉄を持ち、武器を持ち、王権が生まれたのです。
なぜですか?
九州からの大移動があったからにほかなりません。
今までは、鉄の技術が九州から伝わったとして、「福岡博多遺跡の鞴(ふいご)の羽口(はぐち)が蒲鉾型(かまぼこがた)になっているものが纏向遺跡から出土していたので、鉄製産の技術は福岡から伝わり、それが吉備地方に伝播した」というのが、近畿の学者の見解でした。
然し、彼らは「九州からの技術は困る」のです。鉄製産技術も鉄も出ない畿内の弥生時代を何とかしたいのですが、九州を除く手段が見つからなかった。
そこで、最近は「鞴の羽口がかまぼこ型になっているのは、粘土がゆがんだからだ」というのです。
 なんですか? 其の根拠は?
わたしの卒論は「焼もの」でしたからわかりますが、粘土の羽口がゆがんでかまぼこ型になることは有りえません。
生乾きの粘土が形を変える場合は、土の重みに耐えかねた時ですから、小さな羽口くらいでは起こりません。高熱で立てておいた土器が曲がることはありますが、横に置いているものがかまぼこ型にゆがむことは、ありません。生乾きの粘土を高熱で熱したら空気が膨らみ爆発するか、ひびが入り、羽口としての役目を果たしません。よく乾かしてから焼くので、小さなものが割れることはほとんどなく、かまぼこ型にゆがむなんてこと、起こりません。
更に、博多遺跡と纏向遺跡、遠く離れた地域で、一斉にしかも同じ形にゆがんだ、というのですか?
冷静に考えてください。有りえません。そこにあるのは、九州の影響を断ち切らんがための意図にあふれた説です。そうではなくて、日本の歴史を日本人の手で解きたいと思いませんか。わたしが大阪に生まれても北海道に生れても、同じことを考えると思います。
なぜ、九州ではいけないのですか?
それは、その後につづく「邪馬台国」近畿説がかかわるのですね。
卑弥呼の宮殿を近畿にせんが為に、考古学が奔走していることは十分に承知しています。然し、嘘はいけません。


だから、発掘もしていない箸中山古墳(箸墓)の溝の木片を分析して、箸墓の築造年代を上げました。弥生時代に箸墓ができたとして、近畿の古墳の年代をことごとく挙げたのです。ついに、古墳時代は四世紀からだと社会科で習ったのに、三世紀からにしてしまったのです。
「奈良大好き女子」の私でさえ、納得できません。
わたしは考古学が子供の頃から好きでしたが、最近、驚き呆れることばかりです。驚いたことに、近畿の考古遺物の考古学的時期が、約100年早くなった、からです。
こんなこと続けていいのですか?
こんなことをしなければならない、若い考古学者が気の毒になったりしますが。
本当のことを求めない人に、同情・同調は、しません。
人生は短いですから、大事に使って下さいね。
以上