歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

令和元年・万葉集を読む

今年も歴史カフェ阿蘇を計画しました。前回は2018年の8月・9月に4回の「歴史カフェ」を行う事ができました。今年は5回計画しています。4・5・7・8・9月になります。
スケジュールは次の通りです。



早速ですが、「歴史カフェ」を4月から熊本県西原村で始めます。


昨年から次回は『万葉集』としてお知らせしておりましたが、折しも元号が「令和」に変わることになりまして、万葉集と関わりの深い元号となりましたので、興味を持たれた方もおられるでしょう。


わたくし個人的には、三本の万葉集の講座が4月に入っておりました。4月は7日(九州古代史の会)、23日(筑紫古代史の会)、24日(歴史カフェ阿蘇)です。三本重なりましたが、なかみは若干変えています。


「倭国の痕跡」は、福岡市百道パレスでのお話でした。
九州古代史の会でのお話は既に終わりました。参加された方もあるかもしれません。
内容は、和歌が九州倭国で生まれた歌であること、当時の人の認識についての話でした。


次は、筑紫古代史の会で「万葉集と古代史・間人皇后」についてのお話です。
間人(はしひと)皇后は万葉集では「中皇命(なかのすめらみこと)」という称号で登場する女性です。間人(はしひと)は孝徳天皇の皇后でしたから、その人が有間皇子謀反事件に遭遇するのですが、なぜ事件を目撃することになったか、事件後に皇后はどのような行動をとったかをお話する予定です。


さて、「歴史カフェ阿蘇」では「令和元年・万葉集を読む」という莫然とした題をつけています。今回は、万葉集を読むうえで考えなければならないこと、誰が何のために「万葉集」を編纂したのか、その目的は何だったのか、ということをお話ししたいと思っています。
もちろん、持統天皇と柿本人麻呂のお話でもあります。
柿本人麻呂は何を思い、死に臨んだのか、その辺りに触れるつもりです。


万葉集で一番歌が多く掲載されている大伴家持については「後期万葉集」になりますから、今回は少ししか触れることは出来ません。
元号「令和」は、後期万葉集の大伴旅人が大宰府で催した『梅花の宴』の序文から言葉が選ばれました。その事は、少し取り上げることにしています。



また、前回「古代山城」についてのお話で「菊池城」について触れることができませんでしたので、5分でも10分でもお話しできれば…と思っています。


熊本で『万葉集について』お話しできることを嬉しく思っています。