歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

九州から邪馬台国と卑弥呼が消える日は用意された


とうとうその日が来るのですか。誤解から始まった邪馬台国近畿説が、国家の歴史として決定される日が。何と恐ろしい! 真実がみえなくなり、歴史はゆがみます。


箸墓が卑弥呼の墓だという信じられない説を一般化した畿内説学者は、文献や考古資料では「邪馬台国九州説を撲滅することは出来ない」と知っています。
「文献では邪馬台国は読めないから、読まない。」と言い出して半世紀以上が経ちました。
(文献で読むと九州説が有力だからです)
それで、考古資料で邪馬台国を探すとして、40年の長きにわたり奈良を掘り続けたのに、頼りの纏向遺跡ですら時期が怪しくなってきました。残念ながら。
そこで、登場したのが東北・関東の見事な縄文遺物でした。
長い縄文、短い弥生、そして、怒涛の如く古墳時代に突入する東国。「その状況が近畿と似ている」 として、ここに目が付けられました。


分かりますか? 豊かな東国の縄文文化と融合して畿内の弥生は花開き、卑弥呼の神祭りが生れた、と展開するのです。畿内で卑弥呼は生まれたとするのです。
身震いがします。
確かに東国・東北の縄文文化は素晴らしい。
その基礎があったから稲作が入り、古墳文化が怒涛のように入っても、消化し古墳文化を花開かせたのです。
明治の日本と同じです。江戸時代の寺子屋教育が浸透し国民が学問をしていたから、明治の教育は浸透し、近代国家へと移行できました。
文化の浸透⇒近代的国家は、基礎教育があったからこそ可能だったのです。
同じことが言えます。豊かな縄文があったからこそ、弥生と古墳文化が素早く入り込んだのです。もちろん、畿内にも基礎があったのです。
そこへ、九州の弥生後期の文化・更に古墳文化が入って、王権が誕生したのです。


令和元年に合わせて、いよいよ始まりました。あちこちで話をしてきました『縄文ブームは卑弥呼畿内説の準備である」と。
ついに「邪馬台国九州説」をつぶす時期だと考えたのですね、当局は。
このままでいいのですか?

昨年2018年の夏、
東京国博で「縄文展」開催され、噂の縄文のビーナスが展示された。 周囲では、ビーナスが揃う機会はめったにないから見に行ったという話が流れていた。
私は見に行くつもりはなかった。


本当に縄文の土偶だろうか、という思いと、急な縄文ブームにいささかの疑問を感じていたからです。なぜ、縄文が急に脚光を浴びるようになったのか。


当局の意図は、素人の私にも分かりました。準備のための印刷物が出回っていました。
図版・図録・パンフ・すべて、当局の物は同じ方向を向いています。
ですから、素人にも分かりやすいのです。

(写真は縄文展の図録をデジカメで撮ったものです)
貴方は、この写真を見て不思議に思いませんか?
私は縄文のビーナスに対して非常に違和感を覚えていました。

「土偶は不思議だ。大量に発見されているのに、完品はない。体の一部が必ず失われている。それは病気などで体の悪い所を治すためのまじないの為らしい。遮光土器もあれもまじないの一種だろうか」という話は昔からありました。


土偶の前面に付けられた文様が深い祈りと結びついていたと、私はそう思っていましたから、文様がほとんど彫り込まれていない、然も、土偶として割損部のないビーナスを『縄文土器』として認識するのに抵抗がありました。
青森の飛行場で売っていた土産物の遮光土器も片足が欠けていたし・・・文様に覆われた完品ではない土偶が「土偶」の本来の姿ではないでしょうか。

遮光土器には文様の窪みに朱が残っていますから、本来は赤い色が塗られていたのです。そうしてみると、ビーナスには朱の後は有りません。高温で焼しめられた土の肌は黒光りさえしています。


はっきり言えば、焼成温度が高いのです。そういう技術があった時期のものです。
形の完璧さからして、時期が古くは有りません。


見事な造形美を堪能できます。しかし、文化のレベルは古式ではありません。
それにしても高い芸術性と焼成技術が備わっています。

群馬県藤岡市の博物館の耳飾りを見ても、細かな細工が壊れていません。完形で風化もほとんどありません。これは、焼成温度が高く、製作技術も工具も充実していた証拠です。簡単なことです。いわゆる縄文時代とはいえ、新しいのです。長く縄文が続き熟成していた証拠です。
そこへ、九州の文化が入って来た。古墳時代になって更に色濃く九州の文化が入って来た、のです。
畿内王権が入って来た時、戸籍や行政区などの基礎ができていたから、たやすく統治できたのです。関東の文化は、九州の影響を色濃く受けています。


そんな分析は抜きで、畿内と東国を結びつけた。
その作業が続いていましたが、いよいよその路線が国民に向かって披露される。
日本の歴史の書き換えと上塗りが始まるのです。
その情報発信に駆り出されているのは、NHKです。最近のNHKには、公平さが無くなりました。もともと公平ではなかったけれど。小泉政権の頃から極端になったと思いますが。

当局に都合のいいところだけ放送する。国民の目と耳を一定の方向にもっていく、朝飯前の仕事です。
今日は、心からがっかりしたので、ブログを書きました。
先ほど、
「水曜日の『英雄たちの選択』は縄文だったよ。近畿の縄文は長くゆっくり続いたんだって」と、一言聞きました。
私は出かけていたので、そのTVを見ていません。



かねてより危惧していた事態が、いよいよ現実になると思いました。
若者も老人も「令和で新しいことが起こる」と期待しています。
そこへ、この「九州説つぶし」の激震が用意されているのです。

そう思ったのは、私だけでしょうか。これを読んで、あなたはどう思いましたか。


このような事態にならないようにと、私は願っています。どうぞ、的外れでありますようにと。TVの再放送を見て、再度かんがえるつもりです。では。