歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

民話に残された小さな話の大きなカギ・根子岳

熊本には、猫は最後を迎えるころ、どこか家族から見えないところに行くが、それは根子岳に登りその時を迎えるからだという民話があります。
阿蘇の人に「猫が根子岳に上るって本当ですか? そんな話を聞いたことありますか?」と聞きました。
「そぎゃんことはなか(そんなことはない)」という人ばかりでしたが、子どものころは疑いつつも不思議に信じていました。根子岳は柱状の岩がそそり立つ険しい山容をしていて、その姿から木の根のようだとして「根子岳」と呼ばれたのだろうというのが現在の解釈です。姿形が名前の由来というわけです。
それにしても、ネコという音から生まれた民話は、なんだか意味深です。


熊本の荒尾市には、猫宮という小さな神社がありますが、そこには家形石棺の縄かけ突起がご神体となっています。猫宮のネコは猫ではないと思います。その石棺の主を尊称した「根子」なのではないでしょうか。


記紀を見ると歴代天皇の諡(おくりな)に「ネコ・ヒコ」を持った人がいるからです。
諡というのは、諡号(しごう)とも言いますが、葬礼の時に大王の業績や皇統の正しさを明らかにした称号のようなものが贈られるのですが、その名のことです。


では、では、それがネコ・ヒコの根子という大王を指すとすると、その人は何をするために根子岳に登るのでしょう。


そこが問題です。
弥生時代は王は甕棺に埋葬されましたし、古墳時代は石室に石棺や木棺が置かれました。
そんな時代に、山の上で最期を迎えるなど…
首長である立場の人が・・・おぞましい想像ではありませんか。


しかし、自己犠牲により集団に奉仕するとか、霊魂となって集団を守るとか、そんな思想がなかったとは言えません。



ぞっとしましたが、徳永裕二「外道まんだら」(不知火書房・FAX092-791-7161)を読むと、それありだったかも、と思いましたね。


まだ、出たばかりの本ですから、図書館にはないと思います。
では、また。