歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

百済観音も救世観音もクスノキで造られた

「百済観音は飛鳥時代の代表的な仏像で、高さはーー、材料はクスノキです。百済観音は何処から日本に来たのか、今日でも分かりません」
就学旅行の中学生に、ガイドさんが説明していました。わたしは思わず振り向きました。
『百済観音は九州で造られたのでしょうね。』と言ってあげたかったのです。
黒い制服の子ども達はあちこちに視線を向けていて、ガイドさんを見ている子はわずかです。その子達も横にいる仲間と何やら喋り始める始末で、せっかく法隆寺に来ているのに興味はなさそうです。法隆寺の宝物殿は修学旅行生が来ると実ににぎやかですが、彼らは法隆寺とは無関係の会話をしているだけでした。


大人ですら「聖徳太子? ああ、お札(一万円札)の人ね。貰えるなら嬉しいけど」という反応ですから、歴史なんて既に日本からぶっ飛んでいますね。

わたしたちは夢殿のある東院伽藍に向かいましたが、修学旅行生は宝物殿まで見て法隆寺を去っていきました。
夢殿は見学予定から外されているのです。わたしが子供だった頃とは大違いです。夢殿もお隣の中宮寺も見学したのではないでしょうか。


当院伽藍の夢殿は、西院伽藍の「金堂」と同じ意味の建物ですから、救世観音が当東院伽藍の御本尊と云うことになります。
このご本尊「救世観音」は、明治に岡倉天心とフェノロサが布を解かせるまで、秘仏で誰も見たことがなかったのです。


この極上のミステリーは、まだ解かれていません。
なぜ秘仏だったのか、聖徳太子と等身で、その姿に似せて作られたという救世観音です。


そこに秘められた物語を解いてみたいと思いませんか?
わたしは、解きたいと思います。
また後で。