歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!

日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?

法隆寺の釈迦三尊像と薬師如来像の銘文を読もう

今日は、このブログを三回目書いています。何故かエクスプローラーが中断し、せっかく入力したのに、全て消えるのです。どうしたのでしょうね。
でも、何とか再度書きましょうか、前に何と書いていたか忘れたので、前文と全く違っていますが、誰も前文を知らないので、まあ、いいでしょうか。
今日は、8月8日の「歴史カフェ・阿蘇」の報告です。

わざわざ、西原まで来てくださった皆様、ありがとうございました。
徳永さんは大阪から飛行機で来られたそうです。
このブログで「外道まんだら」(不知火書房)を紹介していましたが、その著者の方です。このブログの記事を偶然見つけて、わざわざ来られたと云うことでした。それまで全く知らなかった人に、お目にかかれて、わたしも大変恐縮いたしました。
歴史カフェ・阿蘇に来ていただいたのは、初対面の方や古い知り合いや学友でしたが、皆さん様々なご意見をお持ちでした。
お会いできてうれしかったし、大変有難くもありました。



聖徳太子の所縁の寺に在る二つの仏像について、話をいたしました。
法隆寺金堂のご本尊の釈迦三尊像(右)と、同じ金堂の東の間に安置されている薬師如来像(左)です。


この二軀の仏像を見て、よく似ていると思われますか?
大変よく似ていますね。どちらが古く、どちらが先に造られた仏像でしょう。
様子からして釈迦三尊像の方が、堅く引き締まっていますね。
薬師如来の方がややふっくらとしてやわらかい表情です。
光背も薬師如来の方が立体感があり新しい技術が感じられます。
そうです、技術的にも様式の点でも、薬師にゅらいの方が新しいのです。
然し、造られた年(干支)が光背に彫り込まれていますが、釈迦三尊像は西暦623年で、薬師如来像は西暦607年となっていて、薬師如来の方が古いのです。


さて、薬師如来は釈迦三尊像より古いのでしょうか。それは、何処で判断されるのでしょう。
と、このようなことを考えたのです。



当日も本当に暑い日でしたが、阿蘇や福岡や菊池や大阪から来ていただいて嬉しかったです。西原村の萌の里の上空は、晴れていました。然し、爽やかな風はなかなか届きませんでした。

次は、二つの仏像の光背の銘文について紹介します。暑苦しいけれど、読んでくださいね。