7月31日(水)14時から「歴史カフェ阿蘇」の7回目です。今回のテーマは「壬申の乱を勝利に導いた高市の皇子の悲劇」です。 壬申の乱は、大海人皇子(天武天皇)の周到な計画のもとに起きた内乱でした。天武は東国の兵を召集していました。ですから、吉野を脱出して不破ノ関辺りのワザミが原の仮宮にいて、動きませ... 続きをみる
歴史カフェ阿蘇!猫は根子岳に登らない!の人気ブログ記事
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阿蘇のいみは何でしょうか 白川静という学者を御存知ですか。 甲骨文字を研究して、漢字が本来どのように生まれたかを追求し、東洋とは何かまで迫った人です。何より漢字はその一字を見ただけで意味分かるというのです、見ただけでわかる文字だと。 では阿蘇の「阿」を見ましょうか。 阿 ア やま... 続きをみる
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とうとうその日が来るのですか。誤解から始まった邪馬台国近畿説が、国家の歴史として決定される日が。何と恐ろしい! 真実がみえなくなり、歴史はゆがみます。 箸墓が卑弥呼の墓だという信じられない説を一般化した畿内説学者は、文献や考古資料では「邪馬台国九州説を撲滅することは出来ない」と知っています。 「文... 続きをみる
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法隆寺を歩くと、ふっと土塀に視線が行きます。 そして、池田克己の「法隆寺土塀」を思い出してしまいます。 今は、詩集が傍にないのではっきりとは言えませんが、そんな題詞だったと思います。 中学のころ、担任だった森崎浩一郎先生が読んでくれた詩でした。 子どもでしたから、法隆寺土塀に心を動かした詩人とそれ... 続きをみる
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今日は平成最後の日になりました。 歴代の天皇の中でも国民に寄り添うことを願われたのは、今上天皇をおいては他に知りません。多くの国民に直接声をかけられた方も今上天皇だけでしょうか。平成の平和な時を過ごされたことを何よりと思います。 それにしても、次が「令和」という元号であると発表されたことには驚きま... 続きをみる
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今日は、このブログを三回目書いています。何故かエクスプローラーが中断し、せっかく入力したのに、全て消えるのです。どうしたのでしょうね。 でも、何とか再度書きましょうか、前に何と書いていたか忘れたので、前文と全く違っていますが、誰も前文を知らないので、まあ、いいでしょうか。 今日は、8月8日の「歴史... 続きをみる
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斑鳩の三塔は、法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、それに法起寺の三重塔です。法輪寺の三重塔は落雷で焼失し再建されました。いずれも聖徳太子と山背大兄にまつわる由来を持つ寺院です。この三寺だけが、塔と金堂が東西に並びます。法起寺式と呼ばれる伽藍様式です。 敷地内は静かですが、世界遺産になって、どうでし... 続きをみる
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最近の考古学研究の片寄りに驚いています。 ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、倭人と手を結びました。 ... 続きをみる
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お盆が過ぎると涼しくなると、昔の人は言いました。しかし、最近はそれが通じません。9月まで暑いのです。さて、まだ暑さの厳しい時期ですが、阿蘇はさすがに8月後半から風が変わり、さわやかな風が吹くようになります。8月28日もそんな風が吹きますように。 8月の歴史カフェは、万葉集の巻五の「梅花の宴」につい... 続きをみる
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「百済観音は飛鳥時代の代表的な仏像で、高さはーー、材料はクスノキです。百済観音は何処から日本に来たのか、今日でも分かりません」 就学旅行の中学生に、ガイドさんが説明していました。わたしは思わず振り向きました。 『百済観音は九州で造られたのでしょうね。』と言ってあげたかったのです。 黒い制服の子ども... 続きをみる
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十年前の阿蘇山。まだ地震の爪痕は有りません。俵山峠からの写真です。 なつかしさと同時に胸が締め付けられるような気分になります。 あの時、わたしはどんな思いでこの風景を見たのだろうかと。 火口の御池です。火口は満々とたたえた雨水を沸騰させていました。硫黄で青く濁っています。 阿蘇山上には山上神社があ... 続きをみる
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聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。 その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。 地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。 写真は現在地という地点から岡の原に向かってシャッターを切りま... 続きをみる
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法隆寺の近くには「ミササギ山」と呼ばれる古墳があり、それが近年大注目を浴びました。藤ノ木古墳です。 副葬品が大変豪華だったからです。 それらは、家形石棺の中に置かれていたのです。 副葬品はこれだけではありませんが、これらが家形石棺の中に置かれていたことが重要だと思うのです。 この藤ノ木古墳は法隆寺... 続きをみる
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熊本には、猫は最後を迎えるころ、どこか家族から見えないところに行くが、それは根子岳に登りその時を迎えるからだという民話があります。 阿蘇の人に「猫が根子岳に上るって本当ですか? そんな話を聞いたことありますか?」と聞きました。 「そぎゃんことはなか(そんなことはない)」という人ばかりでしたが、子ど... 続きをみる
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聖徳太子は何処にいたのでしょうか? その宮殿は俀国の何処にあったのでしょう。 まず、その俀国は何処にあったのでしょう。隋書には、 百済・新羅の東南、水陸三千里に在り。 魏の時、中国に訳通す。三十国あり、皆、自ら王と称す。 三千里で俀国ですか。では九州も俀国ですね。魏の時=卑弥呼の時代 は、言葉... 続きをみる